「昔は糖尿病なんてなかった?」を論破したい
それ、ただ見えてなかっただけかもしれませんよ!!
こんにちは。
『昔は糖尿病なんてなかった』
ネットや本でそんな主張を目にすることがありますよね。
たしかに昔では、今のように糖尿病と診断される人は少なかったかもしれません。 でもそれって、糖尿病が『なかった』のでしょうか?
それとも、単に『見えていなかった』だけじゃないでしょうか?
かつては、血糖値を測る検査も今ほど普及していませんでした。HbA1cなんていう概念すら今ほどあまり一般的ではなかったのを感じます。
のどが渇いて水をガブガブ飲んでいても、『夏バテかな』で済まされていた。 いまならChatGPTに尋ねたり、ググったりして明らかに糖尿病が疑われるような状態でも、当時は診断も治療もされなかった。 つまり、糖尿病は『いなかった』のではなく、『気づかれていなかった』のです。
実際、1970年代になってようやく、糖尿病治療の中で『治療にうまく取り組めない人たち(non-compliance)』の問題が注目され始めました。それ以前は、病気とどう向き合うかなんて議論すらなかった。医師が薬を出して、はいおしまい。糖尿病のある人と向き合うという視点がまだ弱かった時代です。
とはいえ、見えるようになった今、糖尿病のある人が増えているのもまた事実です。 厚生労働省の国民健康・栄養調査(2022年)によると、『糖尿病がある、またはその可能性が否定できない』人は、全国で約2,000万人にのぼると推定されています。
こうした増加の背景には、社会全体の高齢化と肥満率の上昇があります。 実際、日本人男性の3人に1人、女性の5人に1人が『肥満(BMI25以上)』とされ、過去20年でその割合は着実に増えています。2型糖尿病と肥満の関係は言うまでもありませんね。
つまり、糖尿病が『見えるようになった』だけでなく、『本当に増えている』のでもあります。
でも、それをただ『昔はよかった』と懐かしむだけでは、今と向き合えません。
昔は見逃されていた糖尿病のある人たちは、視力を失ったり、足を切断したり、透析に至ったりしていたはずです。それが『年だから仕方ない』で片付けられていた時代。そのほうが幸せだったでしょうか?
いまは、糖尿病が早く見つかり、治療の選択肢も増え、うまくマネジメントすれば、合併症を防ぎながら元気に暮らすこともできる時代です。
そして私は、遺伝を専門に研究している立場として、ここにも強く共感しています。 たとえば、MODY(遺伝性糖尿病)も、以前は1型や2型と区別されずに扱われてきました。遺伝学的検査という『光』がなかった時代には、見えなかった、診断されなかった病態です。でも、それは存在しなかったわけではない。『見えていなかった』『治せなかった』だけなんです。
たとえばガン治療の分野では、遺伝学的検査によって、当たり前に薬の選び方が変わり、その家族のケアにもつながるようになってきました。 つまり、『見えるようになったからこそ、支えられる』ようになった。 それは今後の糖尿病医療全体にも言えることだと思います。
『昔は糖尿病なんてなかった』ではなく、 『昔は見えなかったし、治せなかった』 そして今は『見えるようになり、治せる時代になった』。 それこそ、医学の進歩というものではないでしょうか。
P.S. 藤原道長は糖尿病であった説が濃厚とされています。
他に、皆様ご存じの人物はいますか?
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